<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>Nagana Japan &#187; 南アフリカ</title>
	<atom:link href="http://www.naganajapan.org/tag/%e5%8d%97%e3%82%a2%e3%83%95%e3%83%aa%e3%82%ab/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.naganajapan.org</link>
	<description>アジア・アフリカ相互理解促進プロジェクト</description>
	<lastBuildDate>Tue, 01 Sep 2009 02:26:55 +0000</lastBuildDate>
	<generator>http://wordpress.org/?v=2.8.4</generator>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
			<item>
		<title>理解と思慮分別の間で &#8211; 『A Reasonable Man』</title>
		<link>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/a-reasonable-man/</link>
		<comments>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/a-reasonable-man/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 13:35:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kazu</dc:creator>
				<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[南アフリカ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.naganajapan.org/?p=68</guid>
		<description><![CDATA[たいていの場合、振り返ってみればきっかけと呼べるものがある。僕の場合、自分と「アフリカ映画」が強く結びつくことになるきっかけは、『A Reasonable Man』にあった。南アフリカに訪れ、この映画と出会うことがなかっ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>たいていの場合、振り返ってみればきっかけと呼べるものがある。僕の場合、自分と「アフリカ映画」が強く結びつくことになるきっかけは、『A Reasonable Man』にあった。南アフリカに訪れ、この映画と出会うことがなかったら、今のような形でアフリカの映画に深い関心を抱き、積極的にそれに関わろうとする ようなこともなかったのかもしれない。</p>
<p>『A Reasonable Man』の舞台のメインは、南アフリカの法廷にある。けれども、これは単なる法廷闘争の物語ではない。この物語は、現代の多文化社会に生きる僕らに対し て、深く問いかけつづける。道理にかなった人間とはどういう人を指すのだろうか？信仰が殺人を導いてしまったとき、ひかれるべきラインはどこにある？そし て、殺人者はまだあどけない少年。この種の物語は、あらゆる場所にある。それでも、同じ物語は他のどこを探してもないのだ。</p>
<p>ズールー族の少年は、家族とともに村で暮らす。ある日、少年は白人の男に出会う。男は休暇中の弁護士だった。少年の示した素朴な心遣いが男の心に触れた。少年はまだこの時、殺人者ではなかった。</p>
<p>藁葺き屋根の簡素な少年の家。家の中にいるのは、少年ひとり。テーブルから落ちたテーブルクロスが奇妙に動く。何かがいる。少年の眼にとって、それ は「トコロシュ」だった。古くから信じられる、背丈の低い人の形をした悪霊。少年はひどく怯えていた。それでも、わずかに勇気をふりしぼり、少年はそばに あった斧か何かを取り、その何かに振り下ろした。テーブルクロスの下から血にまみれ、顔を出したのは、人間の赤ん坊、少年の幼い弟だった。</p>
<p>ヨーロッパ式に行われる南アフリカの法廷。少年に面識のある主人公の弁護士は、この件のバックグラウンドを追い求めるにつれ、より苦悩を深めていく。一体、どこに線をひけばいいのか。一体、A Reasonable Manとは誰？そんなものがどうやって定義できる？</p>
<p>今でも強い影響力を持ち続ける、呪医サンゴーマ。主人公の男は、不気味な薬を調合してもらう。信じることなしに、先にすすむことはできない時もあ る。誰もが、トコロシュをはっきりと描くことはできない。それは幻想であるとしても、同時にリアルでもある。少年を襲った怖れ・怯えに男がたどり着くと き、発すべき言葉はあるのだろうか？</p>
<p>この物語は、実話に基づいている。南アフリカでは有名なストーリーのひとつであり、類似したケースもまた多い。南アフリカ人に、この映画の話をする と、「それは実際にある話だね。」という返事が返ってくることだろう。白人アフリカーンスの裁判官に、ズールーの少年の心理を、トコロシュを理解してもら うのは難しい。それに、理解したところで、一体何がREASONABLEなのか答えることは、さらに難しい。僕にとっても、もちろん。ただ、理解しないこ とには、その先の判断はあり得ないとは思うけれども…。</p>
<p>ギャヴィン・フッド監督にとって、初監督作品となるこの作品は、長年あたためられてきたストーリーだった。1993年に、ダイアナ・トーマス脚本賞 を獲り注目されたものの、このストーリーは当初、商業的に不確かな南アフリカのストーリーとして、注目されたわけではなかった。ギャヴィンは、ネイティ ブ・アメリカンのストーリーに置き換えて製作しようとしたプロデューサーの提案を断り、自らの手で、「南アフリカの」ストーリーとしてつくることを決意し た。公開までには、さらに6年の歳月を要した。</p>
<p>編集を務めたアヴリル・ビュークはこう言っている。</p>
<blockquote><p>『A Reasonable Man』はまさに、南アフリカのフィルムなんです。けれども、私が信じているのは、これは同時に、まったくインターナショナルなフィルムでもあるのです。 我々はまさに、社会の一セクションとしてではなく、社会全体として、私たちのストーリーを語りはじめる必要があるのです。</p></blockquote>
<p><img src="http://www.naganajapan.org/jp/archives/images/areasonableman.jpg" alt="" width="459" height="152" /></p>
<hr /><strong>A Reasonable Man</strong><br />
1999年　南アフリカ / フランス　103分<br />
監督：ギャヴィン・フッド</p>
<p>ギャヴィン・フッド監督は、最新作『Tsotsi』で2005年アカデミー賞外国語映画賞を獲得。『Tsotsi』は2007年4月より日本公開の予定。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/a-reasonable-man/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>ObservatoryとFreshlyground</title>
		<link>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/observatory-and-freshlyground/</link>
		<comments>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/observatory-and-freshlyground/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 13:26:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kazu</dc:creator>
				<category><![CDATA[音楽]]></category>
		<category><![CDATA[obz]]></category>
		<category><![CDATA[南アフリカ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.naganajapan.org/?p=59</guid>
		<description><![CDATA[最初にFreshlygroundの名前を聞いたのはいつのことだろう。そう、あれはいつものように、オブザバトリーのVoilaという店でコーヒーを啜っていたときのことだったと思う。
ウェイトレスのEは、車やらミュージシャンや [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>最初に<strong>Freshlyground</strong>の名前を聞いたのはいつのことだろう。そう、あれはいつものように、オブザバトリーのVoilaという店でコーヒーを啜っていたときのことだったと思う。</p>
<p>ウェイトレスのEは、車やらミュージシャンやらヌードモデルやらが表紙の雑誌をもってきて、いたずらっぽくたずねる。</p>
<p>「雑誌でも読まない？何がいいかな、クルマ？音楽？それとも……、女の子？」</p>
<p>Eは女優の卵で、半年後には夢を追いかけ、カナダへと渡った。Voilaは、2年後に店じまいしていた。あの時、Eにこのオブザバトリーに住む ミュージシャンのCDとして紹介してもらったのが、Freshlygroundだった。まだ最初のCDを出してすぐのことだったと思う。あの頃は、ケープ タウンのCDショップにも滅多に置いてなかった。</p>
<p>それから、しばらくしてやはりVoilaで、あるゲイの友人に偶然会い、彼に誘われて野外ライブに出かけた。初めて観たFreshlygroundのライブだった。テーブルマウンテンの麓のステージ最前列で踊り戯れ、心の底から楽しんだ。</p>
<p>誰かが、Freshlygroundの音楽は、少しカリヴィアンな感じがする、と言っていた。よくわからないけど、空高く突き抜けるような歌声に、 なんとなくそんな部分を俺も感じるような気がする。基本的には、ジャズなんだと思う。彼らは、アフロフュージョンとも言ったりしている。また、英語で歌っ ている部分も多いけれども、同時にボーカルの女の子の母国語であるコーサ語の響きがすてきで、いくらかはこの地の黒人音楽の特色を反映しているんだろう。</p>
<p>２年くらい前は、オブザバトリーの町を歩いていると、メンバーによく遭遇した。時に、酔っているのか木に登っていたりする場面を見たりもした。何人 かは、昨年僕が仕事をしていた南アフリカドキュメンタリー映画祭にも顔を見せてくれた。Freshlygroundは、僕らが暮らしていた<strong>オブザバトリーのバンド</strong>だった。</p>
<p>2005年に、ケープタウンに再訪した際には少し驚いた。当地では相当な人気ミュージシャンになっていて、ラジオでは彼らの曲がひっきりなしにか かっていた。それもある一つの曲のみが延々と流されていた。ヒットする時ってそんなものかもしれないけど、俺は少し複雑だった。ライブが始まる前に、いつ もステージのふちに座って足をブラブラしてリラックスしている、そんな感じだったボーカルのゾラーニが見られなくなるとしたら、少し寂しいよ。</p>
<p>今ではヨーロッパや世界各地でライブをして周っていて、ケープタウンにいないことも多いようだけど、僕らの中では、彼らはいつまでもケープタウンの、オブザバトリーのバンドなのだ。これは、最高の賛辞なんだよ。Observatoryはそういう土地なんだから。</p>
<p>実は、このFreshlygroundは、2005年に愛知万博で演奏するために日本にも来ていた。去年、キーボードのアロンに会った時には、また日本に行くことはあると思うよ、って言っていた。</p>
<p>そういえば、アロンは、ヒロシマの日に俺がプレゼントした折鶴をどうしただろうか。</p>
<p><img src="http://www.naganajapan.org/jp/archives/images/freshlyground-thumb.jpg" alt="" width="400" height="72" /><br />
【公式サイト】 <a href="http://www.freshlyground.com/">http://www.freshlyground.com/</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/observatory-and-freshlyground/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>46664コンサート &#8211; 自由への長い道</title>
		<link>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/46664concert/</link>
		<comments>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/46664concert/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 13:22:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kazu</dc:creator>
				<category><![CDATA[音楽]]></category>
		<category><![CDATA[HIV/AIDS]]></category>
		<category><![CDATA[ネルソン・マンデラ]]></category>
		<category><![CDATA[南アフリカ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.naganajapan.org/?p=54</guid>
		<description><![CDATA[ネルソン・マンデラの名を聞いたことがない人は、そういないだろう。南アフリカでアパルトヘイト（人種隔離政策）が廃止されて初の全人種参加の民主選挙によって、新生南アフリカ共和国の大統領となった人物である。
では、「46664 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ネルソン・マンデラの名を聞いたことがない人は、そういないだろう。南アフリカでアパルトヘイト（人種隔離政策）が廃止されて初の全人種参加の民主選挙によって、新生南アフリカ共和国の大統領となった人物である。</p>
<p>では、「46664」、あるいは「27」という数字にはピンとくるだろうか。これは南アフリカ人にとっては、マンデラの名とともに、深く結び付けられたものとして広く知られた数字であり、おそらく当地で知らない人はほとんどいないのではないだろうか。</p>
<p>46664とはマンデラがロベン島に投獄されていた際の囚人番号で、27とは彼が投獄されていた年数（うちロベン島には18年）である。それから月 日は流れ、マンデラは、南アフリカの、そしてアフリカの未来のために立ち向かわなくてはならない問題として、エイズとの闘いを宣言した。</p>
<blockquote><p>もはやエイズはただの病気ではありません。基本的人権の問題なのです。それはあらゆる年齢の人びとを襲いますが、とりわけ若者、アフリカの若者に被害をもたらしています。彼ら全員のために、我々は行動を、それも今すぐに行動を起こさなければなりません。<br />
46664コンサートでのマンデラの演説から</p></blockquote>
<p>そうして結成されたプロジェクトが「<a href="http://46664.tiscali.com/">46664</a>」である。そして、2003年末、世界中のミュージシャンがマンデラのもとに、南アフリカのケープタウンに集結して、このプロジェクトのためのコンサートが開催された。</p>
<p>今、この文章を綴っている僕の部屋の片隅では、この46664コンサートのDVD映像が流れている。音を奏で、うたっているのは、南アフリカのクワ イトのグループ「ボンゴ・マフィン」だ。クワイトとは、ラップやハウス、レゲエなどの影響がミックスされて生まれた南アフリカ特有の音楽のこと。この演奏 は、僕がこのコンサートの中で特に気に入っているものだ。U2のボノとエッジ、ビヨンセ、「ビコ」をうたうピーター・ガブリエルなどの欧米の有名ミュージ シャンの見所も多いが、これからDVDやCDで観る人には、ぜひアフリカのミュージシャンの魅力に触れてほしい。セネガルの英雄、ユッスー・ンドゥールは 言うに及ばず、同じくセネガル出身のバーバ・マール、ベナン出身のアンジェリカ・キジョー、南アフリカのイヴォンヌ・チャカ・チャカ、レディスミス・ブ ラック・マンバーゾ、そして、先述したボンゴ・マフィン。</p>
<p>46664は、このプロジェクト、そしてコンサートに冠せられただけでなく、ひとつの曲にもなった。そして、この曲に命を吹き込んだのが、ジョー・ ストラマーであった。しかし、ジョーはこの曲づくりの半ばに、逝ってしまった。2002年の暮れだった。「46664 LONG WALK TO FREEDOM」は、ジョーの書いた最後の曲となった。</p>
<p>未完だったこの曲は、U2のボノやユーリズミックスのデイヴ・スチュワートの手によって完成され、このコンサートで初めて披露された。ボノ、エッ ジ、デイヴ・スチュワート、それから、ジャマイカのアブデル・ライトによるこの時の演奏は、このコンサートの最高の場面のひとつだ。ボノは、ジョー・スト ラマーのラストソングだ、とつぶやき、それから歌いはじめた。</p>
<p>2003年末、僕はこのコンサートの行われた、南アフリカのケープタウンにいた。けれども、ここに参加することはなかった。理由のひとつに、入場料 が高く、まわりの友人でも行く者はそれほど多くなく、たいがいは裕福な観光客や留学生だったことがある。高いといっても、このＤＶＤよりも安い程度だった と思う。</p>
<p>このコンサートをぜひ観て欲しい。けれども、同時にこの華やかなコンサート映像の片隅で決して忘れないで欲しいのは、たとえこの場所に来たくとも、 叶わない人々のこと、そしてこの場所においては、そういった人々が大多数であるということ。ましてやエイズ患者、貧困、偏見、差別との闘いを強いられてい る人々であれば、なおさらこの舞台からは見えにくい場所にいるのだろうから。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/46664concert/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>言葉に依らないリアリティ &#8211; 『The Storekeeper』</title>
		<link>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/the-storekeeper/</link>
		<comments>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/the-storekeeper/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 12:03:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kazu</dc:creator>
				<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[南アフリカ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.naganajapan.org/?p=46</guid>
		<description><![CDATA[後にアカデミー賞作品を生み出すことになるギャヴィン・フッド監督の最初の映画は、すばらしく美しい作品だった。監督が、自分の生まれ育った南アフ リカの地をどれほど愛しているかは、このわずか22分のショートストーリーを見れば、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>後にアカデミー賞作品を生み出すことになるギャヴィン・フッド監督の最初の映画は、すばらしく美しい作品だった。監督が、自分の生まれ育った南アフ リカの地をどれほど愛しているかは、このわずか22分のショートストーリーを見れば、俺には聞くまでもないことだと断言できる。</p>
<p>おそらく、何十年南アフリカに住んでいようとも、小さなコミュニティに縛られている人にはわからないだろう、わずかな人々の機微とでも言うものを見事なまでに敏感に表現している。俳優たちの演技も申し分ない。</p>
<p>この映画には、登場人物のセリフも、ナレーションもない、大げさなBGMもない。あるのは、眼の動き、手や身体の動きで表現すること、それと、背景 に流れるさりげない日常の音、虫の音、ラジオの音、教会に響く合唱。そうして、連なる映像は、見事というしかないリアリティを私たちに投げかける。</p>
<p>郵便配達のおじいさんが自転車に乗ってやってくる。丘の上にたたずむ一軒の雑貨屋。店を営むひとりの男が一通の手紙を開封する。そこには「ウェディ ング」の文字が。届けてくれた配達員のおじいさんに、男はにっこり笑って見せる。幸福な雰囲気を辺りが包む。その夜、男の雑貨屋としてのいつものルー ティーンワークも、どことなく、普段よりも楽しげに見える。</p>
<p>そんな男の日常に、翌朝一筋の暗い影が差し込んだ。寝室で寝ている間に、窓をこじ開けられ、商品を盗まれてしまったのだ。息子の結婚式まであと二日。結婚式の準備と同時に、より入念な防犯対策を余儀なくされた男の物語は、ここから思わぬ方向にまわってゆく。</p>
<p>結末はひどく悲しい。教会の合唱が響きつづける。郵便配達のおじいさんはただ軽く目線を下げ、そして去っていく。</p>
<p>安易な言葉に頼らないがこそ、じゅうぶんにリアリティを表現しうることはある。ギャヴィン・フッド監督の一連の作品が、なかでもこの静かな小品が、そのことを何よりも立証している。</p>
<p><img src="http://www.naganajapan.org/jp/images/storekeeper.jpg" alt="The Store Keeper" /></p>
<hr /><strong>The Storekeeper</strong><br />
1998年　南アフリカ　22分<br />
監督 : ギャヴィン・フッド<br />
日本未公開</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/the-storekeeper/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>威嚇のための武器なき世界 &#8211; 『ツォツィ』</title>
		<link>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/tsotsi/</link>
		<comments>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/tsotsi/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 11:37:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kazu</dc:creator>
				<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[南アフリカ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.naganajapan.org/?p=28</guid>
		<description><![CDATA[南アフリカ共和国、大都会ヨハネスブルグの片隅で、19になるツォツィはその心を閉じ、仲間とともにむき出しのナイフの如き日々を生きる。それでも、かつて深く傷ついた心を、いつまでも眠らせておくことなんてできない。
混沌とした頭 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>南アフリカ共和国、大都会ヨハネスブルグの片隅で、19になるツォツィはその心を閉じ、仲間とともにむき出しのナイフの如き日々を生きる。それでも、かつて深く傷ついた心を、いつまでも眠らせておくことなんてできない。</p>
<p>混沌とした頭を揺らし、ある日めぐりあったひとつの小さな命。それは、強奪した車の後部座席に残された赤ん坊だった。金目のものだけ抜き取って逃げる、仕事としての賢いやり方を放棄し、ツォツィは赤ん坊を自らのもとにたぐりよせた。</p>
<p>物語は、ツォツィと仲間らの枠を超え、赤ん坊を巡り、赤ん坊を奪われた被害者夫婦、警察官、赤ん坊の世話をする未亡人らの間を行き交い、導かれていく。フィクションではあっても、これはまぎれもなく現代南アフリカの物語なのだ。</p>
<p>映画の中でツォツィのターゲットとなる人物が、いわば黒人富裕層とでも言うべき暮らしぶりであることを見ても、アパルトヘイト（人種隔離政策）が終結して10年あまり経過した、現代南アフリカ社会の状況を投影して見ることができる。最初の長編監督作品である<a href="http://www.naganajapan.org/jp/archives/000280.php">「A Reasonable Man」</a>から常に、現代の南アフリカとしての物語を紡ぐことに人一倍こだわってきたギャヴィン・フッド監督にしてみれば、これは当然のことでもあろう。人種で貧富を判別できることはもはやできないのだ。</p>
<p>それでも、厳然として残る貧富の格差、あらゆる格差を逃れる道筋は、ひどくおぼろげに見える。変容しつつあるこの現在進行形の社会で、わたしたちが心を通わせる術はどこに求めればいいのだろうか。</p>
<p>ギャヴィン・フッド監督の作品はいつも、安易なメッセージを投げかけるということを注意深く避けているように思える。そして、重要なのはまさにそこにあるのだ、と僕は気づかされる。安易なメッセージで表現することに、解決策など見出しようもないのではないだろうか。</p>
<p>最後の最後に、赤ん坊を奪われた被害者が、ツォツィに対して示した態度に、僕は希望を見い出す。男の態度は、赤ん坊を取り返したいがゆえというだけ のものではなかったと僕は思う。威嚇する武器を遠ざけ、男とツォツィが向かいあったそのとき、二人は互いを取り巻くあらゆる相違をこえて、ただ同じ立ち位 置で、向かいあっていたのかもしれない。そう思えば、この映画の端々にも、そんな瞬間が散りばめられているようにも思えてくる。</p>
<p>「ツォツィ」は悲劇ではあっても、救いのない物語では決してない。「その先を観客に考えつづけてほしいから」という理由で、ギャヴィン・フッド監督 はラストシーンをそぎ落としたという。もしかしたら、もうひとつの希望は、映画を観たわたしたちひとりひとりが、それぞれのなかで向かいあうことに、見い だせうるのかもしれない。</p>
<p><img src="http://www.naganajapan.org/jp/archives/images/tsotsis.jpg" alt="Scene from Tsotsi" width="400" height="160" /></p>
<hr /><strong>ツォツィ　（ Tsotsi ）</strong><br />
2005年　南アフリカ / イギリス　94分<br />
監督：ギャヴィン・フッド</p>
<p><a href="http://www.tsotsi-movie.com/">【公式サイト】</a><br />
2007年4月、日本全国ロードショー！</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.naganajapan.org/2009/08/02/tsotsi/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
