ルワンダ紀行 (1) - ルワンダ上陸

- はじまりの日 ルワンダ上陸 - 2005.11.01

ビクトリア湖畔に位置するタンザニア第二の都市、ムワンザの夜。

ほんの少し仮眠してから起き上がった。荷物をまとめ、宿のフロントへと行き荷を預かってもらう。午前3時半。宿に隣接しているバーはまだ賑やかで、ここに泊まっているうちに顔馴染みとなった娼婦があいかわらず誘いつづける。僕はバーを出入りする人々を寝ぼけまなこで眺めていた。

そもそも、この旅において、ルワンダへ訪れることを、果たすべき任務のように思い描き続けていたのはどうしてだろう。頭の中に、11年前の虐殺のことがあったことは確かだ。また、この旅の前半に、南アフリカで観た2つのルワンダをあつかった映画によって、生々しく印象付けられたイメージがあった。

けれども、強烈なイメージと同時に、僕はそこに何かが欠けているのを感じていた。

僕は、顔が見たかったのだと思う。ひとりひとりの日常の顔が見たかった。皺や表情が移りゆく様が見たかった。映画では触れることのできなかった、人々の日常生活から滲み出る何かを感じたかった。そうして、僕はルワンダへと向かうことを思い定め、タンザニアのムワンザへと来ていたのだ。

4時20分頃、荷を担いで、バースターミナルへと向かう。辺りはまだ暗く、ひっそりとしている。ベナッコ経由ンガラ行きのバスを見つけ、それから乗り込む。夜明け前、やがてバスは出発する。

しばらく先に進んでから、乗客はいったんバスを降りるように促される。それから、切符を購入して少し歩くと湖に出た。ビクトリア湖だ。どうやら、ここでフェリーに乗ることになるらしい。辺りは次第に明るくなってくる。フェリーに乗り込んで程なく船は岸を離れ、出航した。

湖上に漂いながら、立ち昇ってくる太陽を見る。そいつは、とても美しく、思わず涙が零れ落ちそうになった。

やがて、船は対岸へと着き、乗客は再びバスへと乗り込む。それから、湖を離れ、轍を刻んでゆく。次第に路の状態はひどくなっていく。バスは上下左右に激しく揺れる。しばらくして、大勢の乗客が新たに乗り込んできて、バスの中は鮨詰状態となる。座席についている自分でさえかなり辛い程、立っている乗客の圧力を受けるのだ。

もちろん、より辛いのは立っている乗客のほうだろうことは明らかで、僕は彼らの荷物を自分の膝の上や足元にびっしり詰め込む作業にいそしむ。近くに子供が立っている時には、圧迫死しないかと心配したくなるような状態で、僕は子供を手繰り寄せ、自分の膝の上に避難させた。

道中、窓の外を眺めていると、どう形容したらいいのかわからないが、動きまわる人々の巨大な一帯に眼を奪われた。僕はふと、難民キャンプじゃないだろうかと思い浮かび、隣の男にたずねる。しかし、彼の言葉はそれを否定した。

「いや、あれはここいらの金鉱ではたらく人々だよ。」

これからブルンディに向かうところだという彼によると、ンガラには、ブルンディ難民のキャンプが確かにあるという。過ぎゆく路傍に、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やWFP(世界食糧計画)の旗を至る所に見る。

地理を少し整理すると、僕らは今、タンザニア北西部のビクトリア湖の南に位置するムワンザから、西へ向かっている。ここからさらに西へは、ルワンダとブルンディという2つの国がある。このバスはちょうど、タンザニアとあわせて3カ国の国境が接する位置へと近づいていることになる。僕はこの先のルワンダ国境に近いベナッコで下車し、北のルワンダへと向かう。隣のおっちゃんは、さらに西へと進み、ルワンダの南隣のブルンディへと向かう。

やがて、ムワンザを発ってから6時間ほど経過した頃、バスはベナッコに着いた。ここから、他の乗客とともに、乗り合いタクシーでルワンダ国境へと向かう。美しい山並みの間を縫ってゆき、やがて国境へ。タンザニアを出国し、橋をわたり、ルワンダの出入国管理局で、マウンテンゴリラのホログラムが施されたルワンダビザを提示して、僕はルワンダに入国した。

首都キガリへと向かうミニバスは、運よくすぐに見つけることができた。実際に出発するまでは、しばらく時間を要したけれども、この間に周囲の人々からキニャルワンダ語を教えてもらったりしつつ、有意義な待ち時間を過ごす。

さっそく覚えた言葉で、「トゥゲンデ!」、さあ行こうぜ!って皆と声をあわせて、それからミニバスは動き出した。

ルワンダは、山の国であり、森の国であるという。安易に日本と似ているというつもりはないけど、この美しい山並みには、どこか親しみを感じずにはいられない。暗くなりかけた頃、ルワンダの首都キガリへと到着する。それから、バイクタクシーに乗り、宿にチェックインする頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。

さすがに、少しつかれたな。荷をおろしてから、宿で教えてもらった近くの食堂に足を運び、ビーフシチューとピラウライスを口にする。それから、相席となったおっちゃんらと語らう。おっちゃんの一人は、英語とスワヒリ語の教師だった。それから、彼らとともに宿までの道をゆき、一人部屋に戻る。

部屋にはテレビがあった。自分にとっては少しぜいたくな部屋といえる。テレビのスイッチを入れると、CNNが放映されていた。蚊帳が備え付けられていないので、自前のネットをベッドの上に張る。それから、死んだように眠る。

ずっと焦がれていた地。夢かうつつか。今、僕はルワンダにいる。

>>> ルワンダ紀行 (2) - 不意の異変と人々の温もり -


【バックナンバー】
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ルワンダ紀行 (3) - 夢うつつのラマダーン明け -
ルワンダ紀行 (4) - アボガドの思い出 -
ルワンダ紀行 (5) - 旅を噛みしめて -
・ルワンダ紀行 (6) - 明日のルワンダと -

- Kazu -

中村和正。1981年生。神奈川県横浜市出身。
2003年、南アフリカのケープタウンに語学留学。2005年7月、第7回エンカウンターズ南アフリカドキュメンタリー映画祭にボランティアスタッフとして初めて参加し、以後同映画祭の広報を担当。2006年、アジア・アフリカ相互理解促進プロジェクト「Nagana Japan」を創設。

これまで訪れた国はアジアとアフリカを中心に30ヶ国ほど。一人旅至上主義。
個人サイト: Rolling Kids Studio
ブログ:Rolling Kids Blog

2006年05月05日 23:46

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