生存と芸術の記録 - 『Bunso:the youngest』
トニー(13歳、男)、ブンソー(11歳、男)、ジョセル(11歳、男)。彼らは、檻の中と外を行ったり来たりしている。親が面会に来ることは滅多にない。見捨てられたのだ。貧しい家庭に育ち、職のない父親に日夜暴力を振るわれる少年は、家を出て、生きるために盗みをする。母親はアルコールに溺れ絶望するばかり。そして、捕まっては刑務所行きをくりかえす。
ここに映し出されるフィリピンにある刑務所の環境は劣悪というに尽きる。少年たちは、数百人の大人の囚人たちとともに、狭い監獄にぶちこまれる。レイプ魔や殺人者とともに、些細な万引きをした少年は暮らすことを強いられる。寝るために横になるだけのスペースを確保することができれば幸運で、立ったまま寝なくてはならなかったり、あるいは天井裏に寝ることになる。食事もとてもじゅうぶんに行き渡らない。
映画 『Bunso : the youngest』がドキュメンタリーであることには疑いはない。しかし、ここに映し出されるのは、希望を見い出したく、嘘であってほしい、と願いたくなるような現実である。
僕らは、ここ(刑務所)にいても未来なんてないんだ。
ここで成長して、一体何になれって言うの?
どろぼう。生きるために…。
他に何が?
−ブンソーのセリフ
それでも、たとえ状況がどうしようもなく絶望的であっても、これはそういった状況を伝えるというだけの映画ではない。この映画はまさに活力に満ちている。そして、誤解を恐れずに言えば、すばらしく美しい映画なのだ。
(刑務所で)僕が考えること?お母さんは、もうずっと来ていない。
弟や妹がどうしてるかなって。彼らはちゃんと食べるものがあるんだろうかって。弟や妹に会いたいよ。
−トニーのセリフ
そこには、映像的な表現能力も見いだせるであろう。しかし、何より特筆すべきなのは、少年たちの生きる力、エネルギーに満ち満ちたその動き、その表現である。ブンソーは11歳の少年らしく、そう大人びているわけではない。
まれにやってくるブンソーの母親は、檻の中の息子に対して、きちんと振舞いなさい、と繰り返し言いつける。そんなことだから、おまえはこんなところに入っているんだ、と説教がはじまる。対してブンソーは、こんなところに子供の僕を置いといて、許されるわけがないと言い、暴れまわる。それは気が狂っているという類の行動ではないのだ。救われないもどかしさを、誰よりも実感しつづけているのは、明らかに少年自身ではないのか。
保護者に見捨てられたストリートチルドレンは、仲間をつくり連帯して生きる。子供っぽい口調ではあっても、社会の不条理を嘆く子供たちの声には、何よりも胸に響くパワーがある。歩き、話し、食べ、飲み、走り、寝る。仕草や態度ひとつとっても、少年は、生きるというエネルギーそのものを表現しているのだ。僕はブンソーに、生きることは、表現であり、アートなのだと気づかされる。
時に、少年は寂しさを紛らわすために、唄をうたう。勉強して学校に行きたい、まともな生活を送りたいという想いを唄にこめて、声高くうたう。僕らはブンソーのような子供たちを放っておけるのか?涙をぬぐい、歩を進めなくてはならないのは、今この時ではないのか。少年の歌声が頭の中をくりかえし、くりかえし、かけめぐる。

Bunso : the youngest
2004年 フィリピン 64分
監督:Ditsi Carolino
日本未公開
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2006年07月16日 04:45 |
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