理解と思慮分別の間で - 『A Reasonable Man』
たいていの場合、振り返ってみればきっかけと呼べるものがある。僕の場合、自分と「アフリカ映画」が強く結びつくことになるきっかけは、『A Reasonable Man』にあった。南アフリカに訪れ、この映画と出会うことがなかったら、今のような形でアフリカの映画に深い関心を抱き、積極的にそれに関わろうとするようなこともなかったのかもしれない。
『A Reasonable Man』の舞台のメインは、南アフリカの法廷にある。けれども、これは単なる法廷闘争の物語ではない。この物語は、現代の多文化社会に生きる僕らに対して、深く問いかけつづける。道理にかなった人間とはどういう人を指すのだろうか?信仰が殺人を導いてしまったとき、ひかれるべきラインはどこにある?そして、殺人者はまだあどけない少年。この種の物語は、あらゆる場所にある。それでも、同じ物語は他のどこを探してもないのだ。
ズールー族の少年は、家族とともに村で暮らす。ある日、少年は白人の男に出会う。男は休暇中の弁護士だった。少年の示した素朴な心遣いが男の心に触れた。少年はまだこの時、殺人者ではなかった。
藁葺き屋根の簡素な少年の家。家の中にいるのは、少年ひとり。テーブルから落ちたテーブルクロスが奇妙に動く。何かがいる。少年の眼にとって、それは「トコロシュ」だった。古くから信じられる、背丈の低い人の形をした悪霊。少年はひどく怯えていた。それでも、わずかに勇気をふりしぼり、少年はそばにあった斧か何かを取り、その何かに振り下ろした。テーブルクロスの下から血にまみれ、顔を出したのは、人間の赤ん坊、少年の幼い弟だった。
ヨーロッパ式に行われる南アフリカの法廷。少年に面識のある主人公の弁護士は、この件のバックグラウンドを追い求めるにつれ、より苦悩を深めていく。一体、どこに線をひけばいいのか。一体、A Reasonable Manとは誰?そんなものがどうやって定義できる?
今でも強い影響力を持ち続ける、呪医サンゴーマ。主人公の男は、不気味な薬を調合してもらう。信じることなしに、先にすすむことはできない時もある。誰もが、トコロシュをはっきりと描くことはできない。それは幻想であるとしても、同時にリアルでもある。少年を襲った怖れ・怯えに男がたどり着くとき、発すべき言葉はあるのだろうか?
この物語は、実話に基づいている。南アフリカでは有名なストーリーのひとつであり、類似したケースもまた多い。南アフリカ人に、この映画の話をすると、「それは実際にある話だね。」という返事が返ってくることだろう。白人アフリカーンスの裁判官に、ズールーの少年の心理を、トコロシュを理解してもらうのは難しい。それに、理解したところで、一体何がREASONABLEなのか答えることは、さらに難しい。僕にとっても、もちろん。ただ、理解しないことには、その先の判断はあり得ないとは思うけれども…。
ギャヴィン・フッド監督にとって、初監督作品となるこの作品は、長年あたためられてきたストーリーだった。1993年に、ダイアナ・トーマス脚本賞を獲り注目されたものの、このストーリーは当初、商業的に不確かな南アフリカのストーリーとして、注目されたわけではなかった。ギャヴィンは、ネイティブ・アメリカンのストーリーに置き換えて製作しようとしたプロデューサーの提案を断り、自らの手で、「南アフリカの」ストーリーとしてつくることを決意した。公開までには、さらに6年の歳月を要した。
編集を務めたアヴリル・ビュークはこう言っている。
『A Reasonable Man』はまさに、南アフリカのフィルムなんです。けれども、私が信じているのは、これは同時に、まったくインターナショナルなフィルムでもあるのです。我々はまさに、社会の一セクションとしてではなく、社会全体として、私たちのストーリーを語りはじめる必要があるのです。

A Reasonable Man
1999年 南アフリカ / フランス 103分
監督:ギャヴィン・フッド
ギャヴィン・フッド監督は、最新作『Tsotsi』で2005年アカデミー賞外国語映画賞を獲得。『Tsotsi』は2007年4月より日本公開の予定。
[関連記事]
・威嚇のための武器なき世界 - 『ツォツィ』
・mixiにTsotsiコミュニティを開設
|
2006年05月18日 17:32 |
はてなに追加 |
del.icio.usに追加
新しい記事へ »
エンカウンターズ映画祭 2005 (2)
ルワンダ紀行 (2) - 不意の異変と人々の温もり
« 古い記事へ
« トップページ »
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
コメント
お気軽にコメントをお寄せください。


