// Nagana Japan設立に寄せて

お決まりのイメージからの脱却

 ずっと違和感を感じてきた。ある日、その違和感に立ち向かうことを思いたち、その計画に胸を鷲づかみにされ、それからはその想いに支配されつづけた。
 たいていの場合、僕らとアフリカは、遠く隔てられた何かだ。アフリカと言って、思いつくこととは何だろう。雄大な大自然を駆け巡る野生動物、カラカラに乾燥した砂漠、飢えた子供たち、繰り返される紛争、権力と腐敗の構図、「伝統」を守りつづける人々。語られるのは、たとえセンセーショナルではあっても、あえて言えば、決まりきった対象ばかりではないだろうか。
 アフリカの音楽や映画が多少の注目を浴びるようになってきた昨今でも、かの大地の多様性をのぞいてみれば、手に入る話題はわずかなもので、いつもの通りの固定されたイメージにかき消されてしまう。

援助でないアプローチ

 そして結局のところ目立つのは、貧しいアフリカに対する援助・開発の話ばかりに見える。もちろん、それは必要とされている。けれども、それはなぜ必要とされるのだろうか。なぜそこに貧困があるのだろうか。あなたには人々の声がきこえる?街角のおばちゃんたちの井戸端会議の話題がイメージできる?
 僕が描きたいのは、もっと泥臭い部分だ。何でもない生活の一幕、お涙頂戴ではない日常のライフスタイル、ひとりひとりの物語、街角のおばちゃんたちの井戸端会議、そういったものに対するメディアがほしい。「伝統的」である必要はない。あるいは、「現代的」である必要さえもない。アフリカを語りながらも、アフリカではね、という枕詞が自然な形で排除されているような話がしたい。逆説的だが、そういった実感としての経験の積み重ねがあってこそ、はじめて異文化を理解することができるのではないだろうか。

ラブ&ピースの源たる相互理解

 でかいことを言えば、あらゆる人々が平和な世界を手にすることができるとすれば、それは相互理解の積み重ねの先にしかありえないのではないだろうか。歴史を紐解いてみよう。ひとつの紛争が終わっても、やがて次の紛争が引き起こされた。貧困や人権についても同様で、ひとつの危機を乗り越えても、やがて次の危機が引き起こされた。もちろん、こうした問題に対処するための不断の努力、調停や援助・開発、社会システムの是正は必要とされている。それでも、それだけではこの悪循環の糸を断ち切ることはできない。
 人間と人間が引き起こす問題の根源を探ってみると、結局のところ、相互理解の欠如に行き当たるのではないだろうか。先進国の人間が、発展途上国の人間に対して無条件に感じがちな、かわいそうだ助けてあげよう、という感情そのものは理解ではない。そういった感情は、相互理解のうえにあってこそのものなのだ。

暗闇への跳躍

 僕が今こそ、一生涯をかけて提示しつづけたいこと、それは一人一人の多様性を尊重し、理解し、学ぶことである。誰もが、悪でも敵でもないのだ。一人一人の多様性に理解のない人も悪ではない。人間は非常にあいまいな存在で、だからこそ、一人一人の多様性に対する理解を、僕ら一人一人が意識的に深めあっていくという行動が今こそ求められているのはないだろうか。
 イメージしているのは、底辺の底辺における裾野を広げ、つなぎあわせること。センセーショナルである必要はない。この前こんなやつにあってさ、ってそれだけを言えばいい。もちろん、そんなやつもいれば、そうでないやつもいる。どこでも、いつでも。そういったことが自然と実感できればすてきだと思う。

 そうして、僕はこのNagana Japanというプロジェクトをはじめたのだ。

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