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	<title>Nagana Japan &#187; 音楽</title>
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	<description>アジア・アフリカ相互理解促進プロジェクト</description>
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		<title>鎖を解き放て！ &#8211; BJCとROOTSから考える</title>
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		<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 13:37:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kazu</dc:creator>
				<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[音楽]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ]]></category>
		<category><![CDATA[ガンビア]]></category>
		<category><![CDATA[奴隷]]></category>

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		<description><![CDATA[自らの名を名乗ることさえ許されない人々がいた。一方の人々は、他方の人々を家畜のごとく使役し、彼らの名前を奪い、それから、自分たちにとって都合のよい名前を彼らに押しつけた。
しかし、そうして名を奪われた一人の男は、たとえ鞭 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>自らの名を名乗ることさえ許されない人々がいた。一方の人々は、他方の人々を家畜のごとく使役し、彼らの名前を奪い、それから、自分たちにとって都合のよい名前を彼らに押しつけた。</p>
<p>しかし、そうして名を奪われた一人の男は、たとえ鞭打たれ、押しつけられた名を強要されても、祖国への想いを、その誇りを失うことは決してなかった。クンタ・キンテ。それが男の本当の名前だった。</p>
<p>    悪いひとたちがやって来て　みんなを殺した<br />
    理由なんて簡単さ　そこに弱いひとたちがいたから<br />
    女達は犯され　老人と子供は燃やされた<br />
    若者は奴隷に　歯向かう者は一人残らず皮を剥がされた<br />
    Blankey Jet City 『悪いひとたち』から</p>
<p>西アフリカのマンディンカ族の村からアメリカ大陸に連れ去られ、奴隷として売られ非人間的な暮らしを余儀なくされるマンディンカの戦士クンタ・キンテにはじまり、20世紀の作家アレックス・ヘイリーへと至る、７世代にわたる『ルーツ』の壮大な物語は、アメリカの歴史であると同時に、アフリカの歴史でもあり、そして、人類の歴史である。物語の核心には、単なる事実の羅列でも、政治史でもなく、いつでも、「人間」がいた。</p>
<p>    すさんだ心を持ったハニー　ヨーロッパ調の家具をねだる<br />
    SEXに明け暮れて　麻薬もやりたい放題<br />
    つけが回ってくるぜ　でもやめられる訳なんてないさ<br />
    そんなに長生きなんてしたくないんだってさ<br />
    それを聞いたインタビュアーが　カッコイイって言いやがった<br />
    Blankey Jet City 『悪いひとたち』から</p>
<p>アレックス・ヘイリーは、自らのルーツを辿るこの物語を一冊の本に著し、やがてそれはテレビドラマとしてアメリカで、全世界で放映された。時を経て、日本のロックバンドBlankey Jet Cityは、「悪いひとたち」というひとつの歌を奏でた。Blankey Jet Cityの浅井健一が書いた詩には、ルーツを抱えて生きる僕らの今が、鮮やかにうつしとられている。明日への希望のメッセージとともに。</p>
<p>鎖につながれること。奴隷船。ムチ打ち。レイプ。ひどい苦難の中でも、クンタ・キンテとその子孫は、自分が誰であるかということを決して忘れなかった。</p>
<p>誇り高きマンディンカ族。カンビ・ボロンゴのほとりに暮らす戦士オモロ。そしてその息子、クンタ・キンテ。ある日、太鼓をつくるための木を探すために森に入ったクンタは、奴隷商人につかまり、そして、アメリカへと連れてこられた。再び自由を手にする日の夢を、クンタは娘のキジーに託し、それから、キジーは息子のチキン・ジョージに託した。</p>
<p>    残酷な事件は　いつの日からかみんなの一番の退屈しのぎ<br />
    残酷性が強ければ強いほど　週刊誌は飛ぶように売れる<br />
    その金で買った高級車　夜の雪道でスリップした　その時<br />
    ヘッドライトに映し出されたのが　黒い肌に包まれたチキンジョージ<br />
    今日もあの気持ちのまま一人で歩いてる　街に真っ白いMILKを買いに行く途中<br />
    それを見たバックシートの男は　12月生まれの山羊座で<br />
    第三次世界大戦のシナリオライターを目指してる<br />
    日傘をさして歩く彼の恋人は妊娠中で<br />
    お腹の中の赤ちゃんは　きっとかわいい女の子さ<br />
    Blankey Jet City 『悪いひとたち』から</p>
<p>20世紀末に発表された「悪いひとたち」という曲が、僕らに強く訴えるのはおそらく、歴史と、ルーツとともに生きる、「現代」の社会を切り取っているからであるだろう。ある意味で、歴史は現在の問題なのだ。</p>
<p>名を奪われるということは、遠い歴史の事実ではないことを思い起こしてみよう。例えば、ほんの10年程前にシステムとしてようやく終止符が打たれた南アフリカにおけるアパルトヘイト（人種隔離政策）。反アパルトヘイト闘争の指導者であり、後に大統領となったネルソン・マンデラの名ネルソンが、学校の先生に強制されたにすぎない名であるように、今でもこの地では、あの時代に押しつけられた名を抱え、生きつづけている人々がいくらでもいるのだ。</p>
<p>クンタ・キンテの子孫が、ドラマのラストに叫んだ「We is Free!」というセリフを、心の底から叫ぶことの叶わない人々が、今のこの世界に、はたしてどのくらいいるのか思い巡らしてみよう。戦争は少しも終わってはないし、権力に、力に翻弄され締めつけられつつも生きている人々は、悲しいことに、いくらでもいる。</p>
<p>それでも、同時に僕らは絶望する必要は決してないことを知っている。親が子に未来を託すように、希望は小さきものに宿り、やがて花開くことがあるということを知っているから。そして、「ルーツ」の物語が示してくれたように、この世界に生きるということは、決して単なる苦難の物語ではなく、いつでも、希望の物語でありつづけるのだから。</p>
<p>    BABY　Peace Markを送るぜ　このすばらしい世界へ<br />
    Peace Markを送るぜ<br />
    きっとかわいい女の子だから　きっとかわいい女の子だから<br />
    きっとかわいい女の子だから　きっとかわいい女の子だから<br />
    きっとかわいい女の子だから　…………………………<br />
    Blankey Jet City 『悪いひとたち』から</p>
<p>※『ルーツ』では、We is のような表現が頻繁に見られる。</p>
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		<title>ObservatoryとFreshlyground</title>
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		<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 13:26:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kazu</dc:creator>
				<category><![CDATA[音楽]]></category>
		<category><![CDATA[obz]]></category>
		<category><![CDATA[南アフリカ]]></category>

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		<description><![CDATA[最初にFreshlygroundの名前を聞いたのはいつのことだろう。そう、あれはいつものように、オブザバトリーのVoilaという店でコーヒーを啜っていたときのことだったと思う。
ウェイトレスのEは、車やらミュージシャンや [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>最初に<strong>Freshlyground</strong>の名前を聞いたのはいつのことだろう。そう、あれはいつものように、オブザバトリーのVoilaという店でコーヒーを啜っていたときのことだったと思う。</p>
<p>ウェイトレスのEは、車やらミュージシャンやらヌードモデルやらが表紙の雑誌をもってきて、いたずらっぽくたずねる。</p>
<p>「雑誌でも読まない？何がいいかな、クルマ？音楽？それとも……、女の子？」</p>
<p>Eは女優の卵で、半年後には夢を追いかけ、カナダへと渡った。Voilaは、2年後に店じまいしていた。あの時、Eにこのオブザバトリーに住む ミュージシャンのCDとして紹介してもらったのが、Freshlygroundだった。まだ最初のCDを出してすぐのことだったと思う。あの頃は、ケープ タウンのCDショップにも滅多に置いてなかった。</p>
<p>それから、しばらくしてやはりVoilaで、あるゲイの友人に偶然会い、彼に誘われて野外ライブに出かけた。初めて観たFreshlygroundのライブだった。テーブルマウンテンの麓のステージ最前列で踊り戯れ、心の底から楽しんだ。</p>
<p>誰かが、Freshlygroundの音楽は、少しカリヴィアンな感じがする、と言っていた。よくわからないけど、空高く突き抜けるような歌声に、 なんとなくそんな部分を俺も感じるような気がする。基本的には、ジャズなんだと思う。彼らは、アフロフュージョンとも言ったりしている。また、英語で歌っ ている部分も多いけれども、同時にボーカルの女の子の母国語であるコーサ語の響きがすてきで、いくらかはこの地の黒人音楽の特色を反映しているんだろう。</p>
<p>２年くらい前は、オブザバトリーの町を歩いていると、メンバーによく遭遇した。時に、酔っているのか木に登っていたりする場面を見たりもした。何人 かは、昨年僕が仕事をしていた南アフリカドキュメンタリー映画祭にも顔を見せてくれた。Freshlygroundは、僕らが暮らしていた<strong>オブザバトリーのバンド</strong>だった。</p>
<p>2005年に、ケープタウンに再訪した際には少し驚いた。当地では相当な人気ミュージシャンになっていて、ラジオでは彼らの曲がひっきりなしにか かっていた。それもある一つの曲のみが延々と流されていた。ヒットする時ってそんなものかもしれないけど、俺は少し複雑だった。ライブが始まる前に、いつ もステージのふちに座って足をブラブラしてリラックスしている、そんな感じだったボーカルのゾラーニが見られなくなるとしたら、少し寂しいよ。</p>
<p>今ではヨーロッパや世界各地でライブをして周っていて、ケープタウンにいないことも多いようだけど、僕らの中では、彼らはいつまでもケープタウンの、オブザバトリーのバンドなのだ。これは、最高の賛辞なんだよ。Observatoryはそういう土地なんだから。</p>
<p>実は、このFreshlygroundは、2005年に愛知万博で演奏するために日本にも来ていた。去年、キーボードのアロンに会った時には、また日本に行くことはあると思うよ、って言っていた。</p>
<p>そういえば、アロンは、ヒロシマの日に俺がプレゼントした折鶴をどうしただろうか。</p>
<p><img src="http://www.naganajapan.org/jp/archives/images/freshlyground-thumb.jpg" alt="" width="400" height="72" /><br />
【公式サイト】 <a href="http://www.freshlyground.com/">http://www.freshlyground.com/</a></p>
]]></content:encoded>
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		<title>46664コンサート &#8211; 自由への長い道</title>
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		<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 13:22:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kazu</dc:creator>
				<category><![CDATA[音楽]]></category>
		<category><![CDATA[HIV/AIDS]]></category>
		<category><![CDATA[ネルソン・マンデラ]]></category>
		<category><![CDATA[南アフリカ]]></category>

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		<description><![CDATA[ネルソン・マンデラの名を聞いたことがない人は、そういないだろう。南アフリカでアパルトヘイト（人種隔離政策）が廃止されて初の全人種参加の民主選挙によって、新生南アフリカ共和国の大統領となった人物である。
では、「46664 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ネルソン・マンデラの名を聞いたことがない人は、そういないだろう。南アフリカでアパルトヘイト（人種隔離政策）が廃止されて初の全人種参加の民主選挙によって、新生南アフリカ共和国の大統領となった人物である。</p>
<p>では、「46664」、あるいは「27」という数字にはピンとくるだろうか。これは南アフリカ人にとっては、マンデラの名とともに、深く結び付けられたものとして広く知られた数字であり、おそらく当地で知らない人はほとんどいないのではないだろうか。</p>
<p>46664とはマンデラがロベン島に投獄されていた際の囚人番号で、27とは彼が投獄されていた年数（うちロベン島には18年）である。それから月 日は流れ、マンデラは、南アフリカの、そしてアフリカの未来のために立ち向かわなくてはならない問題として、エイズとの闘いを宣言した。</p>
<blockquote><p>もはやエイズはただの病気ではありません。基本的人権の問題なのです。それはあらゆる年齢の人びとを襲いますが、とりわけ若者、アフリカの若者に被害をもたらしています。彼ら全員のために、我々は行動を、それも今すぐに行動を起こさなければなりません。<br />
46664コンサートでのマンデラの演説から</p></blockquote>
<p>そうして結成されたプロジェクトが「<a href="http://46664.tiscali.com/">46664</a>」である。そして、2003年末、世界中のミュージシャンがマンデラのもとに、南アフリカのケープタウンに集結して、このプロジェクトのためのコンサートが開催された。</p>
<p>今、この文章を綴っている僕の部屋の片隅では、この46664コンサートのDVD映像が流れている。音を奏で、うたっているのは、南アフリカのクワ イトのグループ「ボンゴ・マフィン」だ。クワイトとは、ラップやハウス、レゲエなどの影響がミックスされて生まれた南アフリカ特有の音楽のこと。この演奏 は、僕がこのコンサートの中で特に気に入っているものだ。U2のボノとエッジ、ビヨンセ、「ビコ」をうたうピーター・ガブリエルなどの欧米の有名ミュージ シャンの見所も多いが、これからDVDやCDで観る人には、ぜひアフリカのミュージシャンの魅力に触れてほしい。セネガルの英雄、ユッスー・ンドゥールは 言うに及ばず、同じくセネガル出身のバーバ・マール、ベナン出身のアンジェリカ・キジョー、南アフリカのイヴォンヌ・チャカ・チャカ、レディスミス・ブ ラック・マンバーゾ、そして、先述したボンゴ・マフィン。</p>
<p>46664は、このプロジェクト、そしてコンサートに冠せられただけでなく、ひとつの曲にもなった。そして、この曲に命を吹き込んだのが、ジョー・ ストラマーであった。しかし、ジョーはこの曲づくりの半ばに、逝ってしまった。2002年の暮れだった。「46664 LONG WALK TO FREEDOM」は、ジョーの書いた最後の曲となった。</p>
<p>未完だったこの曲は、U2のボノやユーリズミックスのデイヴ・スチュワートの手によって完成され、このコンサートで初めて披露された。ボノ、エッ ジ、デイヴ・スチュワート、それから、ジャマイカのアブデル・ライトによるこの時の演奏は、このコンサートの最高の場面のひとつだ。ボノは、ジョー・スト ラマーのラストソングだ、とつぶやき、それから歌いはじめた。</p>
<p>2003年末、僕はこのコンサートの行われた、南アフリカのケープタウンにいた。けれども、ここに参加することはなかった。理由のひとつに、入場料 が高く、まわりの友人でも行く者はそれほど多くなく、たいがいは裕福な観光客や留学生だったことがある。高いといっても、このＤＶＤよりも安い程度だった と思う。</p>
<p>このコンサートをぜひ観て欲しい。けれども、同時にこの華やかなコンサート映像の片隅で決して忘れないで欲しいのは、たとえこの場所に来たくとも、 叶わない人々のこと、そしてこの場所においては、そういった人々が大多数であるということ。ましてやエイズ患者、貧困、偏見、差別との闘いを強いられてい る人々であれば、なおさらこの舞台からは見えにくい場所にいるのだろうから。</p>
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