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映画

威嚇のための武器なき世界 – 『ツォツィ』

南アフリカ共和国、大都会ヨハネスブルグの片隅で、19になるツォツィはその心を閉じ、仲間とともにむき出しのナイフの如き日々を生きる。それでも、かつて深く傷ついた心を、いつまでも眠らせておくことなんてできない。

混沌とした頭を揺らし、ある日めぐりあったひとつの小さな命。それは、強奪した車の後部座席に残された赤ん坊だった。金目のものだけ抜き取って逃げる、仕事としての賢いやり方を放棄し、ツォツィは赤ん坊を自らのもとにたぐりよせた。

物語は、ツォツィと仲間らの枠を超え、赤ん坊を巡り、赤ん坊を奪われた被害者夫婦、警察官、赤ん坊の世話をする未亡人らの間を行き交い、導かれていく。フィクションではあっても、これはまぎれもなく現代南アフリカの物語なのだ。

映画の中でツォツィのターゲットとなる人物が、いわば黒人富裕層とでも言うべき暮らしぶりであることを見ても、アパルトヘイト(人種隔離政策)が終結して10年あまり経過した、現代南アフリカ社会の状況を投影して見ることができる。最初の長編監督作品である「A Reasonable Man」から常に、現代の南アフリカとしての物語を紡ぐことに人一倍こだわってきたギャヴィン・フッド監督にしてみれば、これは当然のことでもあろう。人種で貧富を判別できることはもはやできないのだ。

それでも、厳然として残る貧富の格差、あらゆる格差を逃れる道筋は、ひどくおぼろげに見える。変容しつつあるこの現在進行形の社会で、わたしたちが心を通わせる術はどこに求めればいいのだろうか。

ギャヴィン・フッド監督の作品はいつも、安易なメッセージを投げかけるということを注意深く避けているように思える。そして、重要なのはまさにそこにあるのだ、と僕は気づかされる。安易なメッセージで表現することに、解決策など見出しようもないのではないだろうか。

最後の最後に、赤ん坊を奪われた被害者が、ツォツィに対して示した態度に、僕は希望を見い出す。男の態度は、赤ん坊を取り返したいがゆえというだけ のものではなかったと僕は思う。威嚇する武器を遠ざけ、男とツォツィが向かいあったそのとき、二人は互いを取り巻くあらゆる相違をこえて、ただ同じ立ち位 置で、向かいあっていたのかもしれない。そう思えば、この映画の端々にも、そんな瞬間が散りばめられているようにも思えてくる。

「ツォツィ」は悲劇ではあっても、救いのない物語では決してない。「その先を観客に考えつづけてほしいから」という理由で、ギャヴィン・フッド監督 はラストシーンをそぎ落としたという。もしかしたら、もうひとつの希望は、映画を観たわたしたちひとりひとりが、それぞれのなかで向かいあうことに、見い だせうるのかもしれない。

Scene from Tsotsi


ツォツィ ( Tsotsi )
2005年 南アフリカ / イギリス 94分
監督:ギャヴィン・フッド

【公式サイト】
2007年4月、日本全国ロードショー!

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