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書籍

思考のルーツを辿る – 川田順造 『無文字社会の歴史』

文字を用いなかった、あるいはいまも用いていない社会は、世界に数多い。言語は人類に普遍的に用いられているが、文字は少しも普 遍的ではない。文字を実際に使う人の数ということも考慮にいれれば、大部分の人が文字を用いなかった社会の方が、人類の歴史の中でははるかに多かったにち がいない。
川田順造 『無文字社会の歴史』P3から

僕らは、とかく現代的なるものと、伝統的なるものを比較して、物事を見ることに慣れきってしまってはいないだろうか。そもそも伝統的なるものとは、一体何なのだろうか。

言葉遣いが、思考を固定化していしまうという危険を常々感じている。例えば僕は、「彼はいいやつだ」、ということは極力言わないようにしている。ま た、僕の嫌いな文句のひとつに「どこにだって、いい人もいれば、悪い人もいる」というのがある。こういった文句によって、たとえ本人がそんなつもりはなく とも、全ての人はいい人と悪い人にわけられる、という単純な善悪二元論に、少なくともいくらかは、とらわれている気がするのだ。

『無文字社会の歴史』は、著者自身の調査、研究、体験等を通じて、僕らの陥りがちなステレオタイプや思い込みの罠から解き放ってくれる。

例えば、17章の「「伝統的」社会という虚像」をみてみよう。

私は、ヨーロッパ勢力による植民地支配の影響が浸透する以前の黒人アフリカ社会を指すのに、「伝統的」という形容を用いることを 意識して避けてきた。それは、ある社会とくに非西洋社会を、「近代化された」社会と対置させ、「伝統的」と規定することによって、「伝統的=非西洋的=固 定的」「近代的=西洋的=発展的」とみる皮相な二元論にしらずしらず陥る可能性を、基本的な用語からはじめて排除したいと考えたからである。
川田順造 『無文字社会の歴史』P185から

まさに、それは皮相に過ぎないのだが、著者は自身のフィールドである西アフリカはモシ族の社会における明確な例示によって、これを補足する。

以下、簡単に要約する。

南部モシ族の首長の一人、ワルガイ・ナバは、「伝統的」な儀礼の数々を執り行っている強大な首長であった。一方、隣接するラルガイ・ナバは、「伝統 的」な儀礼もごく簡略にしか執り行わない首長であった。しかし、よくこの両者の過去をさかのぼって調べると、一見「伝統的」な儀式を保っているように見え るワルガイの方は、第一次大戦以降、フランス植民地行政当局に地位を与えられてから後、格式ある「伝統的」首長としての体裁をととのえ強化するために腐心 したことがわかり、一方のラルガイは、より古い時代の系譜はワルガイのものより詳細であるのだが、フランスの侵攻以後には、勢力を失い、「伝統的」な儀礼 を簡略化するようになったことがわかる。

つまりこの二人のモシ族の首長は、植民地化以後の外からの力の影響によって、一方は「伝統的」になり、他方は「伝統的」でなくなったのである。

こうした変化を生じさせた過去を十分にたどることなしに、現在だけを観察する者は、「伝統的」とされるものがもつ屈曲した意味に、たやすく欺かれるであろう。
川田順造 『無文字社会の歴史』P188から

2005年末、僕は西アフリカのガーナ共和国に降り立ち、東隣のトーゴを抜け、ブルキナファソへと入った。そうして、本書における重要な舞台のひと つでもある、テンコドゴの町に訪れていた。きれいに伸びる一本のアスファルトの道路、脇道に少し入れば砂っぽい道が細々とつづいていた。

はるかな歴史の上に、今の大地がある。それは一個人が想像するには、あまりあるものなのかもしれない。

けれども、丹念に、一つずつ、自分の足で、人々の声を、過去の足跡を拾い上げていくことで、歴史というのものが時に顔をのぞかせてくれる一瞬をつかめることがあるのかもしれない。

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